一処一情
ご遺族が折角出してくださった「橋本多佳子全句集」なのに殆んど読めないままに済ませては勿体ない。多佳子の師・山口誓子の解説を読み、小池昌代氏のエッセイに目をとおし、橋本多佳子の句・句誌への想いにも触れることができた。そう思っても精力と生涯を傾けて詠んだ多佳子の句の全てを読み切ることまで私は考えないほうがいい。ここの表題の「一処一情」は或る世界を詠んでいるときの多佳子の命の有りようを言い表わすために山口誓子が造語したもの。そうであれば師であっても多佳子の一処一情の場にオイソレと近づくことは躊躇われたにちがいないのに、多佳子がそのような中で詠んでいる真っ只中の現場に私は今・ともに立たせて貰っている気がしている。
歎きゐて虹濃き刻(とき)を逸したり 橋本多佳子
(なげきいて にじこきときをいっしたり)
私はこの句を読んで母を想いだしてしまった
その母は今なお健在で私を叱ってくれている
私のために母は死ねず・永遠に叱ってくれる
私の先になり・後になりして歩いてくれる母
幸せでゐるのよとの想いしか持たなかった母
母の心は一処一情そのものなのを思い出した
(これは句集「海彦」冒頭に載っていた句です)