詩の原野

いろんな人の詩心の原野に迷いこみたい

花しどみ

花しどみ老いしにあらず曇るなり 橋本多佳子
 (はなしどみ おいしにあらずくもるなり)

 

第五句集・遺句集「命終」の冒頭句。この句集には昭和三十一年五月から昭和三十八年三月までの凡そ七年間に詠まれた句が載せられているようです。花しどみを知らない私ゆえにコノ句の正確な文意は分らない。正確なところは分らないけれど、そんな私にも思い当たることはある。橋本多佳子の旅は是までも是からも永遠につづく。そのことを私に伝えてくれていて、この句は私にはとても大事に想えるのです。

旅は出合いであり・出会いです。受け容れあうこともあれば受け容れられないこともある。一様に括ることができない繫がりの連続だから人は旅に飽きないのでしょう。ある時・ある所では親子として誤解し合いながら過ごしたかも知れないけれど、次の生までが同じになる訳ではありません。そんなことは花しどみに具体的に観察できるよね?だから誰の所為でもないって事。落ち込むことは無いって言ってるの。

こんな会話にどこかで出合った覚えがある人は多いのでないのかな。誰かを励ますことで誰より励まされるのはいったい誰でしょうか?俳句の心(詩心)は人生の旅の出会い・出合いを心温まるものにしてくれる特効薬に違いありません。人間を信じているから人は議論も口ゲンカできるのでないのかな。心(こころ)を信じているから何ごとが起きてもあなたは期待できるでないのか。多佳子はいつもあなたの隣りなのよ。了