詩の原野

いろんな人の詩心の原野に迷いこみたい

芭蕉・蕉門の目的地㊥

情報化が進んだ現代世界で情報の温存を図る努力は徒労に終わりそうだ。仮に内緒の貯金を人知れず遺して、それでこの貯金でほくそ笑むのは誰?笑 情報=お金。狡い誰かがあなたの情報を盗もうとしている。私なら知識・情報を公開する。あなたにも公開をお勧めする。社会・世界の人々の役に立てようぜ。

世界規模のインターネット媒体でツイートした記事だけは誰の目にも留まりやすい。私にはこれがツイッターの最大の魅力です。自分の記事をさがすのに苦労する媒体がじつに多いが、ツイッターに関して私は殆んど感じない。もっとシッカリしてきたらツイッター社は更に信頼されるのでなかろうか。

お金が絡むとコトは自分一人の問題で済まず・他者の利害に配慮する結果、純粋性は失われる。その状況は家族を人質に取られて服従させられるのに似ている。日本や独裁国の人が政治・宗教を話題にすれば家族を飢えさせる恐れがある。弱い立場の人が強者(=権力)に立向かうリスクは大きいですよね。

こう導かれるとき蕉門はナニを為すべきか?あなたが芭蕉の一門でなければ関わらなくて済む。 じつに私は蕉門の者でない。だがロジックが私を縛るのです。ロジックを科学と言い換えてもいい。科学に矛盾する論に私は与(くみ)しない。これは私の哲学・信念・宗教でもある。あなたの感覚だと如何か?

この記事を西洋人が読んだとき‥どう反応するだろう?私の想像だと「この日本人(の私)はナンテ馬鹿なこと言ってるんだ」となる。「科学を無視することをトヤカク論ずる幼児レベルの是・日本人は問題外だ」と呆れるかも。スポーツでも政治でも宗教でも科学無視は戴けないのが現代世界の常識だろう。

ともあれ、松尾芭蕉・蕉門の旅立ちの決意表明の句が示し・目差す世界へ至るためにを誤まってならない事はドナタにもお分かりだろう。好き放題・勝手をしておいて世の中は不公平だと嘆いても仕方あるまい。口を開けなければ食べられないし・手に取らない饅頭が胃袋に勝手に跳びこんでくる事はない。

是は一往・芭蕉の課題だが真実を考えるとき、再往・私の課題として捉えなければ意味がない。の句を借りて私の課題を解く機会・切っ掛けとする。雛は芭蕉の仮(かり)の姿として、私は雛の文字を借(かり)て一段磨かれなければ勿体ないこと。じつに凡ての世界のデキゴトは他人事で無いようです。了。