詩の原野

いろんな人の詩心の原野に迷いこみたい

芭蕉・蕉門の目的地㊦

タテの繫がりとかヨコの繫がりとか云うがワケの分らん中途半端な文章が多いなか、臨床心理士はさすが分りやすい文章をお書きだと想わせられて、氏の知恵をお借りする。臨床心理士・中島美鈴氏の記事の概要。仕事は「タテ」の関係・プライバシーは「ヨコ」の関係というふうに私は理解した‥この私の理解に責任は取らない。それで奥の細道の決意の文中で「子どもたちと仲良く遊んで一生を過した良寛 / 仕事に忙しかった極楽寺良観」と述べたが何の説明しなかったのを思い出したのです。

子供たちの大好きな良寛はヨコの繫がりを大事にしたが、仕事が生甲斐の良観はタテの繫がりを重視したことが臨床心理士の説明から私のなかで整理された次第です。ヨコの繫がりは仲よくなければ続かなくて、タテの繫がりは支配することで利益を得る。こう捉えるとき、ヨコは仲よくすることを目的とし、タテは利益の獲得を目的としている現実・具体例が見えてくる。これを社会的な役割りとして観ると如何なるか?良寛社会平和の働きなら、良観は誰かの懐を潤す働きをしていたようです。

社会平和は大事、懐に入れる利益も大事。いかが?笑 さて本筋に戻ります。芭蕉の目的はドコにあるだろうか?芭蕉の目的が私の目的と異なるとき、私はもちろん大事な目的を選ります。芭蕉の方が優れていれば私は芭蕉の目的を当然選るし、私のほうが優れていると思うときは芭蕉を見切ります。格言にも「見切り千両」という。価値の高いほうを選るのに何をためらう意味があるだろう。今はこれまでどおりに良い道を歩きたい。それで良寛に倣うか?良観に倣うか?やっぱり折衷が好いか?

 

― 執筆途中 ―